夜も更け、ビュエルバの街は静まり返っていた。
オンドール侯爵邸で、今まで食べたこともないようなごちそうと 気持ちのよいベッドを当てがえられたヴァンだったが 、ずっと、元気のないアーシェのことが気になった。彼は、きつくて冷たいアーシェが苦手だったが 、その裏に隠された刺すような悲しい表情を見ると、ヴァンが兄レックスを亡くしたとき、刺すような痛みが自分の心を覆ったことを思い出さずにはいられなかったのだ。
ヴァンは,アーシェに同じ痛みを感じた。
そういう感覚が、彼の予感を鋭くしていたのかもしれない。何故かとても胸騒ぎがして、ヴァンは眠ることができず、邸の外を散歩していた。
侯爵邸の発着ポートにはシュトラールが停泊していた。この夜更けにコックピットに灯りがついていた。ヴァンは、すぐに、そこにアーシェがいると直感が走った。
「何やってんだよ。これ、バルフレアの船だぞ」
操縦席について、あれこれスイッチを操作していたアーシェに向かってヴァンが言った。アーシェは振り返りもせず、冷たい声で答えた。
「暁の断片をとりに行くの。もうひとつの王家の証。在処は知ってるから。 船は、後で返すわ」
「なんだよ、ソレ」ヴァンは心底腹が立っていた。
「私はやらなきゃいけないのよ!死んでいった者たちのためにも。 なのに隠れていろなんて!ひとりで戦う覚悟はあるわ!」
「ひとりって・・・・バッシュは?だいたい他人の船を勝手に! 王女のくせになんだよ、お前!」腹が立ちまくって、ヴァンは聞き分けのない子供に向かって言うような口調になった。
「お前はやめて!」
しかし、アーシェも苛立っていた。 ヴァンの言うことなど、聞く気もない様子だ。
「それぐらいになさい、殿下」
不意に、後ろからオンドールの声が聞こえた。 ギクリとしてアーシェとヴァンは後ろを振り返った。操縦席の入口に、変声機を片手に持ったバルフレアが立っていた。
アーシェは、そこに立っていたのがオンドールではなかったので少し安堵したが 、子供のようないたずらをするバルフレアに呆れもしていた。
しかしバルフレアは、真顔になって続けた。
「侯爵に引き渡す」
「待って下さい!」
「その方があんたのためだ」
空回りをしているだけのアーシェにとっては、それが最善の方法だとバルフレアは確信していた。だいたい、王女なんだし、守られていれば心配することはないだろう、と彼は考えていたのだ。
一方、アーシェにとって、空賊とは、いわゆる国籍不明のならず者のようなイメージがあった。しかしバルフレアは、彼女の周りにいる身分の高い男性と同じ上品な香りがして、きちんと教育を受けた知性のある男性にしか見えない、と感じることが多かった。そんなこともあり、本当にならず者の空賊なら、きっと道理より利益を求めるはずだ、と、とっさに浮かんだ盗賊が飛びつきそうな作戦を、よく考えもせず不意に言葉に出てしまっていた。
「・・・・では・・・・、誘拐して下さい!あなた、空賊なんでしょう?!」
バルフレアは心底驚いて、アーシェの方を振り返った。アーシェの表情は真剣だった。
「盗んで下さい。私を、ここから」
なんて言葉を、なんて時に言う女だろう。
バルフレアは、その言葉自体よりも、 そういう言葉を大胆に言ってのけるアーシェに興味を抱いた。かつて、そんな言葉を自分に投げかける女はいなかった。
自分を盗めだと?盗むほどの価値のある女なのか?そして、この女は、オレを逃避行の相手に選ぶ、というのか?
まったく、そんなきわどい言葉を、この重要な場面で、どういうつもりで言っているんだ、この女は・・・・ほんとに、王女のくせに、つくづくあきれた女だ・・・・
「オレに何の得がある?」思わずバルフレアから出た言葉だった。
待ってましたとばかりにアーシェは得々と答えた。「覇王の財宝。暁の断片があるのは、レイスウォール王の墓所なんです」
バルフレアは口笛を吹いた。「あのレイスウォールか?」
「そして君にかかる賞金も跳ね上がる。何しろ王族の誘拐となれば重罪だ」
いつのまにそこにいたのか、バッシュがバルフレアに向かってそう言った。彼もアーシェが心配だったのだろう。
「煽った家来も同罪だろうな」アーシェを誘拐をそそのかすバッシュに向かって、バルフレアは皮肉っぽく答えた。
バッシュは、アーシェにレイスウォールに同行する胸を伝えた。
フランもそこに現れた。彼女はバルフレアが行くなら、自分も行くのだ。
「ヴァンたちはどうするの?」
「行くよ。行くって。こんなところに置いていくなよ」フランの言葉にヴァンはムキになった。
「じゃあ、私も行く!」突然、現れたパンネロにヴァンは驚いた。パンネロはヴァンにすがるようにして続けた。「ひとりは、もう、いや」
ヴァンは、そんなパンネロの気持ちを理解した。「・・・・わかったよ」
フランは、6人が無事に勢揃いしたのを見届けると 動じもせず、余裕たっぷりに言った。
「決まりね。公爵に気づかれる前に発ちましょう。 ・・・・・誘拐犯らしくね」
そうしてバルフレアとともに、操縦席についた。